アメリカからショーンという父親が子どもと一緒に来た。彼は言った。オレは子ども達に釣った魚は与えないよ、代わりに彼ら自身でどうやったら魚が取れるのかを考えさせるんだ。
I will not catch fish for children, but i will teach them how to catch fish by themselves.未来のためにするべきこと。子どもを未知の世界に誘うこと
テレ朝の社員でコメンテーターの京大出身の玉川さんという方がノーベル賞受賞に関して面白いことを言っていた。本当にアタマのよい子、賢い子の関心は「ムシ」と「星」だと言っていた。ははは、ムシを怖がって逃げ回る子どもや若者をたくさん輩出している日本では数十年後ノーベル賞は出ないな。お金で賢い子は買えない。賢い子とは未来で希望だ。未来とは教育だ。教育とは本当は知恵を授けることなんだ。日本ではお金 お勉強 便利快適、あればあっただけ当然のように、こどもに与えてしまうけれど、それって教育?
どうやったら自分で必要なものをキャッチできるのかを教えること、それが本当の教育だ。お金があるからと何でも与えたり、塾に通わすだけなら、AIより劣化したロボット人間ばかりになってしまうな。ロボットは便利だけれど飯の食い方は知らない。食うことに興味がないから飯の種になることも知らない。
必ずしもお金がなくたって賢い子はできる。子どもと一緒に野山を歩き何かを見つけたり、海岸を歩いたり、それが難しければ、公園を歩いたり、地面や木々や空を見たり、そんな時間を大切にする。食べる経験も大切だ。「植物図鑑」という小説本を読めば身近な雑草と思われるものもたくさん食べれることを教えてくれる。悲しいかな世の親は、今そこにある未知の世界の価値よりも、汚くて危険なのが自然という未知の世界だと思い込んでいる。未知の世界こそ、未来だと知れば、末は東大か博士にはならずとも、ニートや視野の狭いエリートにはならないだろう。自然は未知で未来への扉だ。自然はこどもの好奇心を引き出すもので溢れている。自分がムシが嫌いだからといって多くの親が、子どもの未来への一歩を閉ざしてしまうのは残念だ。